名古屋の浅間町という住宅街にそのお店はある。コンパクトな店内は南インドの家の外壁のようなカラーリングで統一されており、カウンター席はたった5つしかない。初めて訪れたにもかかわらず、ずっとここに通っていたかのような、身体がすっぽりとおさまるような不思議な居心地の良さがあった。
名古屋の「too much india」は何から何まで手作りのインド料理店だ。店主のとみーさんは物静かで知的な印象とは裏腹にとてもエネルギッシュで内側にパワーを秘めている方である。
以前からTwitter上では度々交流があり、2回ほどインド現地でニアミスしたことがある。しかし直接お会いしたのは今回が初めて。勤めていた会社を辞め、レシピ収集の旅に出て、コロナ禍でお店をいちから手作りし、営業を始めて早くも一年以上が経過したという。
そうやってお店ができていく過程をTwitter上で全部見ていたため、タイムトラベルしてきた人物に会ったかのような、なんだか不思議な気持ちだった。
今回は月に数回営業のティファンモーニングをいただきながらお店を始めた経緯やインドでのレシピ収集の旅のお話、インド料理についての考え方などについてインタビューを実施した。
お店を始めた経緯と、レシピ収集の旅の話
自宅の一部を改装した3.5帖のお店は自身でDIYして作られた。特にそういった経験もないなか、手探りで壁を塗り、カウンターもとりつけた。カラーリングはタラブックスの本、“Travels Through South Indian Kitchens”に登場する南インドの家の配色を参考にしている。
壁に関しては、ムラを出す為にわざと漆喰を石で擦って仕上げるモロッコのタデラクトという技を使用しているという。これもぶっつけ本番でやってみたというからなかなか大胆だ。
とみーさんはもともと音楽活動、絵画などものづくりが好きだったため出版社に就職したが、実際には現場のものづくりからは遠い経理というポジションとなってしまったこともあり、漠然と自分でお店をやることを考えるようになった。
インド料理を始めたのは、初めてインドに行った際にベジタリアン料理の豊富さに驚いたことがきっかけだという。最初は友達に食べてもらっていただけだったがそのうち間借りでの活動を始め評判となり、ついには会社を辞めて半年間で100個のレシピを収集する旅に出ることにした。
「2020年に怒涛のライフイベントが詰まっていました。家を買い、結婚し、会社を辞めるという…。ちゃんとガンジス河で足を洗ってきました(笑)」
半年で100個レシピを集める、という目標は行きつけの飲み屋で話しているうちに「友達100人作りたいよね」くらいのノリで決まったものらしいが、実際に家庭や料理教室で120以上のレシピを収集することができ、それらはブログで全て公開されている。
「旅の初めの2ヶ月は英語研修でデヘラドゥーンにいたんですが、長くいた分そこのメイドさんが作ってくれた料理が心に残っていますね。味が好きなのはケララ料理ですが、マドゥライのティファンも好きでモーニング営業のベースになっています」
旅した土地はジャイプール、ウダイプル、リシュケシュ、ラージャスターン、ブッタガヤ、コルカタ、アッサム、ゴア、ケーララ、ヴァルカラ、カニャクマリ、タミルナードゥ、ティルチ、チェンナイなどと幅広い。インド人の友人の実家でホームステイをしたりしつつ、ホームステイに近いようなゲストハウスを探し家庭や料理教室でレシピを教わった。
インドの料理好きのお母さんの食卓を再現したい
とみーさんの料理のベースはあくまでインドの家庭料理だという。
「家庭のご飯ってなかなかお店では出さないような組み合わせにしたり前日の残りを食べたりしていて、面白いし美味しい。そういう、インドの料理好きのお母さんの家で出されているようなご飯を自分なりの組み立てで再現して提供したいと思っています」
営業日は週末を中心に週に3日程度となり、“Indian Home Style Lunch”と言う名でベジ料理を中心に5品程度とライスをワンプレートで提供している。内容はなんでもありで決まった形式はないが、旬の食材を活用しながら、旅の最中に食べた料理の記憶に基づきつつバランスを考えて構成していると言う。
イートインの予約はinstagramで1ヶ月まとめて受付けているが、11月分は予約開始数分で全て満席となったというから大変な人気だ。ちなみに2022年の12月はインドへ研修旅行のため営業はない。
「メニュー構成を毎月考えるんですが、この前、これって『食べる論文』みたいだなって思いました。各アイテムが章立てに当たり、プレート全体で一本の論文に相当するというか…。旅での経験の蓄積をベースにしながらリサーチをして、考察を重ねたアウトプットとして一皿の作品を作り上げているイメージです。」
実際に食べて美味しいと思った組み合わせの記憶をもとに土台を作り、季節感やバランスを取り入れながら現地の味が出せるように作り上げる。アレンジは基本的に加えないが、日本人が食べやすいように味のバランスは意識する。
「11月は旬だからカブを入れたかったんですが、作りたかったのでKuzhi Paniyaram(具なしたこ焼きのような、球状のティファン)も入れちゃいました。お店だったらあんまりないかもしれないけど、家庭だったらそういう意外な組み合わせもあるかなと」
現地での豊富な経験に加え、長年の蓄積をもとに作り上げられた研究成果がたった2000円足らずで食べられるというのはいささか安すぎるような気もする。人間は単純に食べ物を食べているだけではなく、物語や情報をそこから多く受け取っていると言うことに気づかせてくれるような食事だ。
白いふわふわにささげる人生
今回実際に頂いたのはティファンモーニング。不定休だが、“too much india tiffin room”の名前でティファンモーニング営業も実施している。ティファン(tiffin)というのは南インドの方でよく食べられている朝食や軽食のスタイルで、米や豆から作られる蒸しパンのようなイドゥリ、豆のペーストを揚げたワダなどが定番。営業は月に2〜4回程度で、大量のイドゥリワダを作り続けて早くも一年が経過したという。
イドゥリ、ワダ、ピーナツチャトニ、トマトチャトニ、ギーポディ、サンバル、バナナのワンプレート。ドーナツ状のものがワダで、白い蒸しパンのようなものがイドゥリだ。
ウォーマーの中にインドの気候を作り出すことで発酵を進めているイドゥリはちょうど良い酸味加減で、ふわっと口の中でほぐれていく。
サンバルの香ばしい香りを嗅いだとき、脳内に今年の夏に行ったインド旅行が再生された。ヒングが強く唐辛子とコリアンダーがローストされており香ばしさが立つ。なんだか知っている香りだった。
チャトニはPanasonic(インドの)製の強力なミキサーで作られており滑らかな仕上がりになっている。トマトのチャトニはコクが強く、ピーナッツチャトニは甘くて少し水分が多め。ちなみに夏はピーナッツチャトニがココナッツチャトニに変わるという。
イドゥリを右手でちぎってはサンバルを毛細管現象で吸い込ませて食べる。時折ギーポディを挟むと、その脂肪分と塩味の刺激に脳が驚く。豆とスパイスの粉が麻薬的に味蕾に響くのだが、これもふわふわに仕上がった極上のイドゥリがあってこそだ。
サクサクのワダも揚げたてで、両方ともおかわり可能だ。勢いのままイドゥリを2つお代わりしてしまった。
「モーニング営業の時のお客さんは最大25人。毎回イドゥリとワダは40~50個くらい作っています。お代わりしてほしいので値段設定も安くしています」
イドゥリに関しても根掘り葉掘りきいてきた。詳しくは来年刊行予定の『イドゥリZINE』に掲載する予定なので割愛するが、ウェットグラインダーを入手して自身で作るようになってからイドゥリへの愛着が増したという。その気持ちはよくわかる。
「モーニング営業は仕込みも大変ですが、早起きしてイドゥリを蒸す時間は完璧に整える時間。最高です。私にとってのイドゥリは、一言で言うなら『幸福』です。」
イドゥリを愛するイドゥリクレイジーのとみーさんは、今後通信販売でイドゥリ生地の販売なども考えているという。家庭でも手軽にイドゥリを楽しめるようになったら素敵だ。
ティファンを提供しているお店はまだまだ少ない。日常の中に普通にイドゥリが普及していった未来の日本の光景を見てみたいものである。
お店の情報
基本的に要予約のため、お店のinstagramをご確認ください。
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