俺は日々受けた感覚や刺激・発見をできるだけ記憶に刻みつけておきたくて、記録できるものは全て記号化して保存しようと試みてしまう。
それは、理想界と現実界との間にある深い溝、それも決して埋まることのない溝を、言葉を尽くすことで描き切ろうとする徒労。もはや冒涜といってもいいかもしれない。
だって結局はぜんぶ試みた先からこぼれ落ちて、掌中に残るのはいつもほんの少しだけだ。
言語化して対象を固定化することはそれ以外の取りこぼされた物を否定することであり、捨象することでもある。だとすれば言葉にしないことが正解なのだろうか?例えそうだとしても書かずにはいられなかった。
たまたまコースの予約が取れたという同居人に誘ってもらい、国立の台形まで行ってきた。名前のない、ここでしか食べられない料理たち。
「国立」という駅名は国分寺と立川の間に作られる駅だからというのが名前の由来らしい。だからというわけではないが、国立の街のつくりはなんだか変だ。南口を出ると斜め45度に道が伸び、ひたすら真っ直ぐに続いている。夢の中に登場する名前のない都市のように現実感がない。
駅を出て、10分ほど歩くと左手に記号が現れた。店名はどこにも書いていないのに一発でわかる。これも何やら現実感がないシンボルだ。本物の台形を現実で描くことはできないから。
メニュー表には材料が羅列してある。しかし網羅されて記述されているわけではないため、食品成分表示の原材料ともまた違うものだ。それはイメージを膨らませるための列挙であり、実際の料理とどこまで結びついているのかはわからない。だが期待感が高まるのは確かだ。
大根・ホースラディッシュ
雑味が一切ない大根のなめらかなスープ。柔らかくぼんやりとしている。
特徴を出すためにあえてバランスを崩すというのは簡単なのだが、雑味を感じさせずにバランスをとるのってむしろ難しいことなのではないだろうか。
ホースラディッシュの揮発性のシャープな辛味を包み込むようにしながら大根を食べた。
こごみ・白アスパラガス・葡萄・レモングラス
季節がそのまま閉じ込められたようなジェリーにパイナップルのソースをつけて食べる。ベースにレモングラスがいて、香りとテクスチャと冷感を楽しむ料理だった。
スノードームやミニチュアのように世界がそのまま閉じ込められていて時間が止まっているようだった。
スペアリブ・ブラッドオレンジ・葡萄・カルダモン・アニス
スペアリブは柔らかく煮てあり、脂肪は嫌な感じがせず、肉がフルーツととてもよく合う。ソースの中にはアニス、マスタードシード、ゴマがいる。カレーじゃん、と思いながら食べた。
烏賊・烏賊のワタ・桜鯛・茄子
柔らかな出汁の旨味の中に柔らかく煮込まれた茄子が浮かんでおり、烏賊やワタなどの具材が詰まっている。アクセント的に馬告(マーガオ)が散らされていて香る。
豆豉・鱈・青エンドウマメ・飛び子・ヨーグルト・ミモレット
白玉でできた餅の中に具材が詰められており、周りにミモレットととび子が散らされている。
ザクザク、プチプチ、モチモチと複数種類の食感が重なり、乳製品と魚介系の旨味が重なる。複合的な旨味は本能的に美味しい。
胴が長い犬
かわいい。
酒粕・アマレット・苺
言われなければ酒粕とわからないようなミルキーさ。いちごのソースがかかっていてとろける。ラベンダーが上に乗っかっている状態を初めて食べた。アマレット、酒粕、いちご、ラベンダーなど単体では馴染みがあるものも、組み合わせると全く新しいものになる。
自分の中に理解するフレームが備わっていないものは結局うまく情報が入ってこなくて、感覚をそのまま受け止めることが難しい。だとしたら無理に記号化する必要はないのかもしれないけど、記憶が滑り落ちないように錨を打っておきたかった。ただそれだけだ。
お店の情報
予約の仕方がむつかしいのでTwitterを要確認。
たまにメールで予約を受け付けるタイミングがあり、応募の中から抽選で受付。
席数は6席となる。
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